フィリピンの英雄ラプラプとは?マゼランとの戦いとセブ島・マクタン島の歴史

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セブ島やマクタン島について調べていると、「ラプラプ」という名前を見かけます。マクタン島にはラプラプ市があり、剣と盾を持った大きなラプラプ像も建てられています。

ラプラプは、1521年にマクタン島でマゼランの遠征隊と戦った人物です。マゼランは世界一周航海で知られる探検家ですが、航海の途中に起きたマクタン島の戦いで命を落としました。

では、ラプラプはどのような人物で、なぜマゼランと戦ったのでしょうか。また、マゼランはなぜ敗れ、ラプラプはフィリピンの英雄と呼ばれるようになったのでしょうか。

この記事では、フィリピンの英雄ラプラプの人物像と、1521年4月27日に起きたマクタン島の戦いを紹介します。当時のセブ島とマクタン島の関係、マゼランが死亡した経緯、現在のマクタン島に残るラプラプ像や記念碑についても解説します。

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フィリピンの英雄ラプラプとは?マクタン島の指導者だった人物

セブ島

 

ラプラプ(Lapulapu)は、16世紀初頭のフィリピン・マクタン島の指導者の一人です。

1521年、マゼランが率いる遠征隊に抵抗し、マクタン島の戦いで勝利したことで知られています。現在のフィリピンでは、外国勢力から自分たちの土地を守った英雄として称えられています。

ただし、ラプラプが生きた時代には、現在のフィリピン共和国は存在していませんでした。当時は島や地域ごとに異なる指導者が勢力を持ち、それぞれの地域社会を治めていました。

ラプラプはマクタン島を率いた指導者の一人

ラプラプは、セブ島の東側にあるマクタン島で勢力を持っていた指導者の一人です。

ラプラプが生きた時代の記録は少なく、その生涯について詳しいことは分かっていません。

出生地や生年月日、家族構成、晩年の生活などは、確かな史料では確認できていません。マクタン島の戦いに参加した当時の年齢についても、はっきりした記録はありません。

ラプラプについて記録した人物の一人が、マゼランの遠征隊に同行していたイタリア人アントニオ・ピガフェッタです。

ピガフェッタは遠征中の出来事を書き残しており、その中でマクタン島の指導者としてラプラプについて触れています。当時の記録には「Çilapulapu」という表記が見られます。

現在、日本語では「ラプラプ」や「ラプ・ラプ」と書かれることがありますが、フィリピン国家歴史委員会では、歴史上の人物名として「Lapulapu」という表記を採用しています。

また、当時のマクタン島にはラプラプだけでなく、ズラ(Zula)という別の指導者もいました。

ズラはマゼラン側との協力を求めましたが、ラプラプはスペイン王の権威を認めませんでした。マクタン島の二人の指導者が異なる立場を取ったことも、マゼランがラプラプとの戦いに踏み切る背景となりました。

なお、ラプラプは「フィリピンの初代国王」ではありません。現在のフィリピン全土を統治していた人物ではなく、マクタン島で勢力を持っていた指導者でした。

ラプラプはなぜフィリピン最初の英雄と呼ばれる?

ラプラプがフィリピン最初の英雄と呼ばれるのは、1521年のマクタン島の戦いで、マゼランの率いる遠征隊を退けたためです。

当時、マゼランはスペイン王の支援を受けて航海をしており、セブ島の指導者たちと関係を築きながら、その周辺にもスペイン王の権威を認めるよう求めていました。

しかし、ラプラプはその要求に従いませんでした。そして、マゼラン側がマクタン島へ攻め込んだ際、島の戦士たちは遠征隊を撃退しました。

この勝利は、現在のフィリピンで、外部からの支配に抵抗した歴史的な出来事として受け継がれています。

ラプラプは、ヨーロッパから来た遠征隊の要求を拒み、抵抗を率いた人物として評価されています。

ただし、ラプラプ本人が現代のフィリピンという国家の独立を目指して戦ったわけではありません。当時は現在のような統一国家がなく、ラプラプは自分たちの地域の立場や権威を守ろうとしていました。

その後、スペインの植民地支配に反対する運動が進む中で、ラプラプの勝利は外国勢力への抵抗を象徴する出来事として注目されました。

現在のフィリピンでも、その功績をたたえる記念碑が建てられ、ラプラプの名前が市名に使われています。

ラプラプとマゼランはなぜ戦った?1521年のマクタン島の戦い

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ラプラプとマゼランが戦ったのは、1521年4月27日です。この戦いは「マクタン島の戦い(Battle of Mactan)」と呼ばれています。

マゼランはポルトガル出身の航海者ですが、当時のスペイン王の支援を受けて遠征隊を率いていました。

マクタン島の戦いには、セブ島の指導者フマボンとマゼランの協力関係、マクタン島内部の指導者同士の対立、スペイン王への服従をめぐる問題などが関係していました。ラプラプがキリスト教への改宗を拒否したという理由だけで起きた戦いではありません。

マゼランがセブ島に到着し、フマボンと協力関係を築いた

1521年、マゼランの遠征隊は現在のフィリピンに到達しました。

マゼランは、スペインから西へ進んで香辛料の産地へ向かう航路を探す遠征を率いていました。フィリピンの島々を訪れた後、セブ島にも到着しました。

当時のセブ島は、周辺地域との交易が行われていた場所です。マゼランが到着する以前から、人々は近隣の島々やアジアの交易商人と交流していました。

セブ島で大きな勢力を持っていた指導者が、ラジャ・フマボン(Rajah Humabon)です。

フマボンはマゼランの遠征隊を受け入れ、協力関係を築きました。マゼラン側はスペイン王の権威を示し、フマボン側も遠征隊との関係を通じて、周辺地域への影響力を強める立場になりました。

1521年4月14日には、フマボンやその周辺の人々がキリスト教の洗礼を受けたことが記録されています。

ただし、フマボンが洗礼を受けたからといって、周辺の島々の指導者すべてが同じ判断をしたわけではありません。

当時のセブ島とマクタン島には、それぞれの地域を率いる指導者がいました。フマボンがマゼランと協力しても、ほかの指導者がスペイン王やフマボンの権威に従うとは限りませんでした。

実際にマクタン島では、ズラがマゼラン側と協力する一方で、ラプラプは要求を拒否していました。

ラプラプはなぜマゼランへの服従を拒否した?

マゼランがセブ島でフマボンとの関係を築いた後、周辺地域の指導者たちにもスペイン王の権威を認め、協力するよう求めました。

しかし、マクタン島のラプラプは要求に応じませんでした。

当時の記録によると、マクタン島にはズラという別の指導者がいて、マゼラン側に食料などを提供する立場を取っていました。

しかし、1521年4月26日、ズラの息子がマゼランのもとを訪れ、ラプラプがスペイン王の権威を認めず、要求された食料の提供にも応じていないことを伝えました。

その際、ズラ側からラプラプを討つための協力も求められたと記録されています。

ズラはマゼランの遠征隊に協力しようとしていましたが、ラプラプはスペイン王の権威を拒否していました。こうしたマクタン島の指導者同士の立場の違いが、遠征隊の軍事介入にもつながりました。

また、マゼランはフマボンをセブ島とマクタン島の上位の指導者として扱おうとしていましたが、ラプラプはその立場を認めていませんでした。

ラプラプ本人が要求を拒否した理由を直接語った記録は残っていません。一方、ピガフェッタの記録やフィリピン国家歴史委員会の歴史標識からは、スペイン王とフマボンの権威を認めるかどうかが対立の中心にあったことを確認できます。

マゼランはこうした状況を受け、武力によってラプラプを従わせようとしました。そして、遠征隊を率いてマクタン島へ向かうことになります。

1521年4月27日、マクタン島の戦いでマゼランが死亡

マクタン島の戦いが起きたのは、1521年4月27日の早朝です。

マゼランは武装した兵士たちを率いてマクタン島へ向かい、フマボン側の人々も同行しました。

ピガフェッタの記録によると、遠征隊が到着したとき、海岸付近は潮が引いており、浅瀬やサンゴ礁のため船を岸まで近づけることができませんでした。

そのため、マゼランと兵士たちは船から降り、海の中を歩いて海岸へ向かうことになりました。

マゼラン側は銃やクロスボウなどの武器を持っていましたが、浅瀬の影響で船を岸に近づけられず、船上からの援護も限られていました。

マゼランは戦闘前に使者を送り、ラプラプにスペイン王の権威を認めるよう要求しました。しかし、ラプラプ側は応じませんでした。

戦いが始まると、マクタン島の戦士たちは槍や弓矢などを使って応戦しました。

ピガフェッタの記録では、マクタン島側の戦士たちは多数で攻撃し、マゼラン側の武器や防具の弱点を突いたことが伝えられています。

マゼラン側は銃を持っていましたが、海岸から離れた船による援護が十分に届かず、マクタン島側の戦士たちの攻撃を受けて後退しました。

また、マゼランは同行したフマボン側の人々に、戦闘へ加わらず待機するよう求めていました。そのため、遠征隊が直接戦う形になりました。

戦闘が続く中でマゼランは負傷し、最終的にマクタン島の戦士たちによって殺害されました。

マゼランの死亡によって遠征隊は撤退し、遺体を回収することもできませんでした。

ただし、ラプラプ本人がマゼランに致命傷を与えたかどうかは分かっていません。

マゼランの死を記録したピガフェッタは、ラプラプ本人が致命傷を与えたとは記録していません。そのため、ラプラプが自らマゼランを討ったと断定することはできません。

確実に言えるのは、ラプラプが率いたマクタン島の戦士たちがマゼランの遠征隊を撃退し、その戦いでマゼランが死亡したということです。

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ラプラプとマゼランの戦いはフィリピンの歴史に何を残した?

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マクタン島の戦いでマゼランが死亡し、遠征隊は撤退しました。

この戦いは後のフィリピンで、外国勢力による支配に抵抗した歴史的な出来事として評価されるようになりました。

ラプラプとマクタン島の戦士たちによる勝利は、現在もフィリピンの歴史で重要な出来事として伝えられています。

マクタン島の勝利は外国勢力への抵抗の象徴となった

1521年のマクタン島の戦いでは、ラプラプ側がマゼランの遠征隊を退けました。

この勝利によって、マクタン島の人々はマゼランが求めたスペイン王への服従を拒み通しました。

ただし、この時点でフィリピンがスペインから独立したわけではありません。当時のフィリピンには統一された国家が存在せず、スペインによる本格的な植民地支配が始まるのも後のことです。

マゼランの死後、遠征隊の生き残った人々は航海を続けました。その後、16世紀後半にはスペインがフィリピンの各地へ進出し、1565年にはセブに拠点を築きました。

マクタン島でラプラプ側が勝利したものの、その後のスペインによるフィリピンへの進出を止めたわけではありません。

それでも、ヨーロッパから来た遠征隊の要求を拒否し、戦いで勝利したという出来事は、後世に外国勢力への抵抗を象徴する歴史として受け継がれました。

特に、スペインの植民地支配に反対する動きが広がる中で、ラプラプは自分たちの土地や自由を守った人物として注目されるようになりました。

現在のフィリピンでは、ラプラプは外国勢力への抵抗を象徴する英雄として位置付けられています。

また、2021年にはマクタン島の戦いから500年を迎え、フィリピン政府による記念事業や歴史資料の公開が行われました。

なお、マゼランの来航後にフィリピンがどのような歴史をたどったのかについては、フィリピンとセブ島の歴史を簡単に解説|植民地時代・歴史的建造物も紹介で詳しく紹介しています。

ラプラプという名前がマクタン島の市名にも残っている

ラプラプの名前は、現在のマクタン島にあるラプラプ市(Lapu-Lapu City)にも残っています。

マクタン島はセブ島の東側に位置しており、マクタン・セブ国際空港やリゾートホテルがある場所として知られています。

現在のラプラプ市は、もともとオポン(Opon)と呼ばれる自治体でした。

1961年6月17日、フィリピンの共和国法第3134号によって市として設立され、英雄ラプラプの名前を取って「Lapu-Lapu City」と名付けられました。

市名にはハイフンを使った「Lapu-Lapu City」という表記が残っています。一方、フィリピン国家歴史委員会では、歴史上の人物名にハイフンを付けず、「Lapulapu」と表記しています。

マクタン島は現在、空港やビーチリゾートがある観光地として有名ですが、1521年にはマゼランの遠征隊と現地の人々が戦った歴史の舞台でもありました。

セブ島への留学生がマクタン・セブ国際空港に到着すると、ラプラプの名前を冠した市に足を踏み入れることになります。

マクタン島の位置やセブ島との違い、現在の留学生活については、マクタン島とは?どこにある?治安・天気・セブ島との違いでも紹介しています。

セブ島・マクタン島でラプラプの歴史を感じられる場所

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マクタン島には、1521年の戦いを記念するラプラプ像とマゼラン記念碑があります。

どちらもマクタン島の戦いに関係する記念碑ですが、建てられた時代や伝えている内容は異なります。

現在は、セブ島やマクタン島への留学中に訪れることができる歴史的な場所として知られています。

ラプラプ像はどこにある?マクタン島のマゼラン記念碑も紹介

ラプラプ像があるのは、マクタン島のプンタ・エンガニョ(Punta Engaño)地区にあるマクタン・シュライン(Mactan Shrine)です。

この場所はリバティ・シュライン(Liberty Shrine)とも呼ばれ、1521年のマクタン島の戦いを記念する史跡になっています。

敷地内には、剣と盾を持ったラプラプの銅像があります。

ラプラプ像は、外部勢力から自分たちの土地を守ろうとした指導者の姿を象徴しています。

ただし、現在の像に表現されている服装や姿が、実際のラプラプと完全に同じだったことを示す記録はありません。ラプラプ本人の容姿についても、確実な資料がほとんど残っていないためです。

また、ラプラプ像の近くには、マゼラン記念碑(Magellan Monument)も建てられています。

マゼラン記念碑は1866年に建てられたもので、マゼランが1521年4月27日の戦いで死亡したことを伝えています。

一方、現在のラプラプの銅像は、マゼラン記念碑より後に建てられたものです。

マゼラン記念碑は19世紀に建立され、ラプラプの記念像はその後に建てられました。同じ史跡にありながら、二つの記念碑は異なる時代に造られています。

マゼランはスペイン王の支援を受けて航海していた遠征隊の指揮官であり、ラプラプはその要求に抵抗したマクタン島の指導者でした。

現在は、一方の記念碑がヨーロッパから来た航海者の死を伝え、もう一方の像がマクタン島の人々による抵抗と勝利を記念しています。

マクタン・シュラインの戦闘跡地は、フィリピン政府によって国の史跡として指定されています。また、フィリピン国家歴史委員会は、この場所に設置されたラプラプやマゼランの歴史標識を記録しています。

現地でラプラプ像とマゼラン記念碑を見るときは、二つの記念碑がそれぞれ何を伝えているのかにも注目してみましょう。

マクタン島の戦いを知ってからセブ島を訪れる楽しみ方

セブ島やマクタン島へ留学するなら、授業のない日にマクタン・シュラインやセブシティの史跡を訪れるのもおすすめです。

マクタン・シュラインでは、ラプラプ像やマゼラン記念碑を通して、1521年の戦いについて知ることができます。

また、セブ島のセブシティには、マゼランの来航と関係する歴史的な場所も残っています。

その一つが、マゼラン・クロス(Magellan’s Cross)です。

マゼラン・クロスは、1521年にマゼランの遠征隊がセブ島でキリスト教を広めた歴史と関係する場所として知られています。

マゼランがセブ島でフマボンと協力関係を築き、キリスト教の洗礼が行われたことを知っておくと、マゼラン・クロスの意味も理解しやすくなります。

さらに、近くにはサント・ニーニョ教会(Basilica Minore del Santo Niño)があります。

この教会は、セブ島におけるキリスト教の歴史と深い関わりがあり、マゼランの遠征隊が来航した時代を知るうえでも重要な場所です。

マクタン島ではラプラプがマゼランに抵抗した歴史を、セブシティではマゼランとフマボンが協力し、キリスト教が広まっていった歴史を知ることができます。

同じ1521年の出来事でも、地域や指導者によってマゼランとの関係は異なっていました。

マクタン島のラプラプとセブ島のフマボンが異なる対応を取ったことを知っておくと、それぞれの史跡が伝える歴史の違いも分かります。

留学中に見学する場合は、学校の授業や外出ルールを確認し、現地の交通状況も考えて予定を立てましょう。

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まとめ|フィリピンの英雄ラプラプとマクタン島の歴史を知ろう

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ラプラプは、16世紀初頭のマクタン島にいた指導者の一人です。

1521年4月27日、マゼランの遠征隊がマクタン島へ攻め込んだ際、ラプラプが率いた戦士たちは抵抗し、遠征隊を撃退しました。この戦いでマゼランは命を落としました。

ただし、ラプラプ本人がマゼランに致命傷を与えたかどうかは分かっていません。また、ラプラプは現在のフィリピン全土を率いていた国王ではなく、当時のマクタン島の指導者でした。

マクタン島の戦いは、その後、外国勢力への抵抗を象徴する出来事として評価され、ラプラプはフィリピンの英雄として知られるようになりました。

現在もラプラプ市という名前や、マクタン島のラプラプ像、マゼラン記念碑などに、その歴史が残っています。

セブ島やマクタン島へ留学する際には、現地の歴史を知っておくと、ラプラプ市という地名やマクタン島の記念碑が持つ意味も分かります。

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